« March 2006 | トップページ | May 2006 »

2006.04.27

4/25 『RED』

『RED』(村枝賢一著/講談社ヤンマガKC)1~19巻読了。

13巻まで読んでたのにそのままになっていた『RED』を、最終巻まで全部購入して、最初っからイッキ読み。

村枝賢一の“男泣きコミック”はどれもこれも熱い。
『仮面ライダーSPIRITS』は震えが来るほどカッチョイイし、『俺たちのフィールド』も無闇矢鱈と----『アストロ球団』チックに熱い。
この『RED』もそうだ。人間的には成長しながら、復讐のための復讐となりつつあってもウィシャ族虐殺の恨みを晴らし続けるレッド。それを助けるアンジー、イエロー、ゴールドスミスたち。本当に熱いし、目頭が熱くなる場面が目白押しである。
でも、扱ってる題材がインディアンの大量虐殺と復讐なので、どう考えても破滅型の展開にしかならないと思ってはいたが、クライマックスに向けて死んで死んで死にまくる。やっぱりこうなるよねぇ。

ところで、エピローグに出て来た、レッドそっくりの子供とオレンジは一体誰の子供なんだろう?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.04.24

4/23 シアター・ナノ.グラム『サイド・エフェクト~副作用~』

シアター・ナノ.グラムの『サイド・エフェクト~副作用~』を池袋シアター・グリーンで観る。

スランプに悩む女流作家・環と、彼女の家に同居する詩織。2人の生活は、危ういバランスの上で成り立っていた。家政婦、編集者、文芸評論家等々、皆がそんな環のことを心配して、彼女の家を訪れるが…。

ナノ.グラムの第16回公演は、初めての池袋・シアターグリーン/エリア171。
お客さんの入りも良く、階段まで一杯で立ち見まで出ている。毎回集客力が上がっている。大したものだ。おまけに今回はスカパーでのO.A.もあるそうで、ナノ.グラムは徐々に人気有名劇団への道を歩んでいるのだなぁ。

前回に引続き、主演はモリチエさん。今回は悪女な訳ではなく、色々あって歪んじゃってる感じの哀しい人。で、その相方が間宮さん。この2人のチョイ・エロな場面があるのが、ナノ.グラム的には新要素。これまでは間宮さんのフトモモとかがお色気部分だったけど、今回はもっと具体的にエロっぽい。それが必要があったかどうかは評価の分かれるトコだろう。
これだけでなく、福原さんが前作『ヴィンテージ・シーズン』から役柄を引き継いでいたり、各役柄の強弱がこれまでよりもハッキリと付いていたりと、新しい試みが今回は多い気がする。
金子さん演じる文芸評論家は、以前だったら座長が演じた役だったんだろうけれど、今回は彼が演じたのが良かった気がする。

残念だったのは、笑いの要素が薄くなり、重い部分の方が立ってしまっていること。これから、どんどん重い話の方にシフトしていくのかしらん?そーゆー方向に進んで行くつもりなら、それはそれでは良いのだけど、もうちょっと軽いノリの方が個人的には好みかなぁ。
ついでに、物語の内容とタイトルがあんまり合っていないような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4/21 『ファイヤーウォール』

新宿ミラノで今日が楽日の『ファイヤーウォール』を観る。 

ランドロック・パシフィック銀行のコンピュータ・セキュリティ担当ジャック・スタンフィールド(ハリソン・フォード)。彼の作り上げた鉄壁のセキュリティ・システムは、合併予定のアキュウェスト社も一目置いていた。だが、ビル・コックス(ポールベタニー)率いる強盗グループはジャックに目を付けた。彼らはジャックの家族を人質に取ると、ジャックに彼の専門知識を駆使して指定口座へ1億ドル移し替えるよう脅迫をするのだが…。

穴だらけの困った脚本だが、もしも勢いがあればきっと乗り切れただろう映画。
でもさ、ハリソン・フォードがコンピュータ・セキュリティのエキスパートって段階で、観客は萎えちゃって、勢いに乗れないと思う。今どき、60過ぎのジイサマがセキュリティのエキスパート?増してやハリソンが?!有り得んでしょう!悩める若手プログラマ君をどかして、彼が2行ばかりコードを書き足すと、セキュリティが完璧になる件がある。ぷぷぷぷぷ~っだ!
こぉ~んなツマンナイ描写で冒頭から観客の足を引っ張っちゃうから、全てがウソ臭くなっちまう。
昔は凄かったけど、今は20代の若造に席を明け渡してる管理職って設定ならアリだと思うけど、このジャックは現役バリバリ。ムリだって。
ハリソン・フォードがロバート・フォスターの役回りで、コンピュータには疎いけど、経験値が高い肉体派老警備主任で、若造プログラマと協力して犯人逮捕って流れなら良かったのにね。
知的なコンピュータ犯罪の話のはずで、どうやって高度なセキュリティをかいくぐるのか?って部分は面白かったのに、結局はパンチ合戦。アホか?
脚本にもヒネリなく、なんだかなぁ…な映画である。

監督のリチャード・ロンクレインって聞いたことあるなぁと思ったら、マイケル・ペリン主演の『ストップ・ザ・売春天国』の監督だった。ああ…、アレもパイソンズ主演とは思えない程寒い映画だったからねぇ、と納得するオレ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.04.19

4/17 『始末屋ジャック 幽霊屋敷の秘密』

『始末屋ジャック 幽霊屋敷の秘密』(F・P・ウィルソン著/扶桑社ミステリー刊)読了。

良く当たると評判の霊媒師イファセンから仕事の依頼を受けたジャック。仕事の内容は、自分たちへのいやがらせをしている主を探しあて、報復することだった。だが、イファセンの住む家に超自然的な出来事が次々と起こり始めた…。

【ネタバレアリ】
始末屋ジャック・シリーズも6作目。『ナイトワールド』発刊後に刊行された物が既に5作。最初はあまり『ナイトワールド』…と言うか、“アドヴァーサリー・サイクル”に関係無い話が多かったけれど、物語はいよいよ終末に向けてズンズンと突き進み始めている。

本作では、『ザ・キープ』の「タウ十字」が登場し、他人の未来が見えるようになったイファセンは、誰の未来も2年後に闇に包まれることを予言する。そして、ジャックが異界のターゲットとなり、ガッチリとアドヴァーサリー・サイクルに組み込まれたことを知らされる物語である。
ただそれだけに、シリーズをずっと読んでいる読者には疑問も多い。完結編であるはずの『ナイトワールド』よりも、本作の方が後に書かれているため、ジャックの役割が大幅に変わってきているのだ。解説文にも書かれているが、『ナイトワールド』でのジャックは、魅力的な脇役に過ぎない。だが、本作のような経過を経てしまっては、単なる脇役ではなく主役にならなければ嘘である。既に整合性も取れなくなって来ている。ウイルソンは始末屋ジャック・シリーズが完結したら、『ナイトワールド』を全面改定するんだろうか?あながち無い話でもないのかもしれない。

アドヴァーサリ・サイクルの話はさておき、今回は似非霊媒師と幽霊屋敷の話がメイン。過去に似非霊媒師の助手をしていたことも明かになるジャック。相手の手の内を知り尽くした上で、霊媒師を嵌める作戦が痛快だ。ジャックは霊媒が相手だろうが、超常現象が敵だろうが、常に現実的に戦っていくところが素敵である。
そして屋敷に起こる怪奇現象の原因は一体何か?物語中盤で現れる骨董商エリ・ベリートは、てっきり物語を膨らませる1エピソードに過ぎないのかと思っていたら、それこそが核心だったのには驚いた。巧いね、どうも。

物語とは関係無いが、フリオの店で働く従業員がミートローフの大ファンで、「朝からミートローフを掛けるような趣味がわからん」とか言われる。まるでオレのこと言われてるようだ(笑)。
ついでに、『ロジャー・ラビット』が無生に見たくなった。今度観ようっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.04.18

4/17 『ナイト・ウォッチ/NOCHINOI DOZOR』

新宿アカデミーで『ナイト・ウォッチ/NOCHINOI DOZOR』を観る。

この世界には、人間と全く変わらない姿をした“異種”が存在している。異種は、光の勢力と闇の勢力に別れ闘いを繰り広げていたが、現在は休戦協定が結ばれていた。そして、それぞれの勢力には、相手を監視する「ナイト・ウォッチ」と「デイ・ウォッチ」が居り、危うい均衡が保たれていた。だが、その均衡を脅かすものが現れようとしていた……。

“ロシア版マトリックス”との触れ込みの一部で話題のロシア映画。
良くも悪くも「ロシアでこんな映画作るようになったんだ!」と驚かされる。ロシア映画ってぇとオレには、エイゼンシュテインでタルコフスキーで『戦争と平和』『妖婆 死棺の呪い』『雪の女王』…みたいな印象しかない。それが今どきのハリウッドSFアクション映画みたいなのを作るとは思いも寄らなかった。
まぁ、インド映画がサタジット・レイ監督作みたいなのしかないかと思ってたら、『踊るマハラジャ』みたいなのが主流だったり、韓国映画がイム・グォンテク監督作みたいなのばっかりかと思ってたら、エンタテインメントの方が主流だったりと、紹介される作品の偏りが有り過ぎて思い込んじゃってたってぇのが正直なところだ。

物語的には、至極手垢の付いたプロット----遠い過去から未来まで、人類の知らないところで光と闇の軍勢が戦っている---である。こんなん、小説でも映画でもいっくらでもやっている。ただし、ちょっと新機軸なのが、そのどちら側に付くかを自分で選択出来るところ。こーゆーのは大抵の場合、運命で定まってたとか、生まれながらにどっちに付くかが決まってる場合が多い。この新機軸部分が、物語展開に大きく関わってくる。
『マトリックス』よろしく、最初から3部作の予定で製作されているそうで、決着もはっきりとは着いていないから、今はストーリー的な判断は出来かねるけれど、『マトリックス』1作目のような興奮はない。

映像的には、確かに“ロシア版『マトリックス』”と宣伝するのも頷ける。
冒頭のタイムスライス風戦闘シーンや、デジタル処理併用のカメラワークなど、トリッキーな映像が多い。でも、凄くオリジナリティ溢れる物になっているかと言うと、意外とどこかで観た映像の応用編だったりする。ウォシャウスキー兄弟の影響よりもデヴィッド・フィンチャーの影響の方が強いんじゃないかしらん?
闇のリーダー・ザヴロンがプレイしている、格闘ゲームの映像のなんとも言えないショボ&ウソ臭い感じは狙いなのか?

とりあえず、3部作を全部観てみようと言う気にはなったから、映画としてはそこそこ面白いんだろう。(…と、消極的な肯定)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.04.10

4/9 『KILLER IN KILLERS』

知人が制作に関わっている(?)と言う、タンバリン・プロデューサーズの芝居『KILLER IN KILLERS』のチケットを頂き、サンモール・スタジオまで観に行く。

ヨコハマ。殺しの依頼を受け、とある映画館にやって来た殺し屋たち。だがその依頼内容とは、お互いで殺し合って、生き残った者に5000万円の報酬を渡すというものだった…。

場内は若いお客さんでほぼ満員。チケットが残っているようなことを聞いていたが、そんなことないじゃん。

内容は…頂いたチケットなのでコメントしずらいんだが、敢えて言ってしまえば、どこかで見たようなお話。
リスペクト『ルパン三世』ってことらしいけれど、それよりも鈴木清順(あるいは大和屋竺なのかもしれないけど、ともかく『殺しの烙印』)と林海象(『私立探偵濱マイク』)を混ぜて、アルバート・ピュン(『ワイルド・ガン』)が構成したような物語。3人ともオレの好きな監督ではあるんだが…。
まぁ、作・演の富沢義彦さんが、そっち方面がお好きな方なんでしょう。きっと。

ほとんどが若手声優の役者さんたちは、元気がありかつ声に張りがあって、非常に頑張っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.04.05

4/2 『ある日どこかで』

DVDで『ある日どこかで』を観る。

新進劇作家のリチャード(クリストファー・リーヴ)の初舞台のパーティ会場に現れた一人の老婦人。彼女は金時計を手渡して「帰ってきて」と一言残し立ち去った。数年後、スランプに陥ったリチャードは、旅先のホテルで一枚の写真を見つける。その女性エリーズ(ジェーン・シーモア)こそ、かつて金時計を渡した老婦人の若き日の姿だった。彼女に恋焦がれるリチャードは、時を越えエリーズと出会うが……。

久し振りに観たけど、何度観てもシンミリと良い映画だなぁ。
お金を掛けなくても、SFXが無くても、ウェルメイドなSF映画を作ることが出来るってことの好例である。
リーヴ、シーモア、クリストファー・プラマーのそれぞれクラシカルで上品な雰囲気。タイムスリップした時代の空気感。何よりもこんなに切ない話は、他になかなかない。願ったらタイムスリップ出来るって設定はどうかとも思うけど、それほどに想いが強いんだってことで納得しておこう。(そう言えば、『モスラ3 キングギドラ来襲』で、モスラが“こんちう”のくせに、“強い想い”だけでタイムスリップする場面があって失笑したっけ…なんて、思い出さなくてもいいこと思い出しちゃったよ)
ああ、それにしてもジェーン・シーモアは本当に美しいなぁ。

特典映像はインタビューとスチル構成のメイキング。
半身不随状態の故クリストファー・リーヴ、美人ではあるが老けちゃったジェーン・シーモア、こちらを観てさらにシンミリ…。

全然関係ないけど、急に『レディホーク』が観たくなったな。切ない系恋愛ファンタジーってジャンルでは、あれも好きな映画の1本。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4/2 『殺破狼 SPL/狼よ静かに死ね』

今日は功夫映画を2本ハシゴ。
新宿トーアで『殺破狼 SPL/狼よ静かに死ね』を観る。

マフィアのボス・ポー(サモ・ハン)に証人を殺され、自身も大怪我を負ったチャン刑事(サイモン・ヤム)。脳腫瘍のため、余命わずかとなったチャン刑事は引退を決意し、部下たちと共にポーの逮捕に最後の執念を燃やす。チャンの後任としてやって来た武闘派刑事のマー(ドニー・イェン)は、彼らのやり方に戸惑いを覚えるが…。

脚本は荒っぽいし、構成力にも問題がある。「なぜ?」と首をかしげる展開もある。
だけどそんなことは、きっとどうでもいいことなんだろう。ドニー・イェンとサモ・ハンがガチンコ・バトルする。そこが最大のポイント。“マッハ王子”ことドニーの恐ろしいほど速くてシャープな攻撃と、超重量級サモ・ハンのバトルの迫力は、お見事としか言いようが無い。
今回はワイヤー使用も極力抑え気味なのに、それにもかかわらずあまりにも美し過ぎるドニーの三連蹴。カッチョイー!イカスー!
VSサモ・ハン戦だけでなく、VSウー・ジン戦も見もの。ナイフと特殊警棒による超高速バトルは一見の価値あり。ウー・ジンって俳優はTVの人らしいので全然知らなかったんだけど、身体のキレが恐ろしくイイ。顔はオレの好みではないけれど、確実に次に出てくる香港アクション・スターなんだと思う。

脚本に難ありとは言いつつも、クライマックスの展開はちょっと驚いたし、エピローグで男泣きって人が居るのも分かる気はする。

リー・リン・チェイが“型”や“演武”としての美しさへと進んで行くのに対し、ドニー・イェンはアクション映画の闘いとしての凄さへと邁進している。それを実感させられる今日の2本ハシゴであった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.04.04

4/2 『SPIRIT』

新宿東急で『SPIRIT』を観る。

病弱な少年フォ・ユァンジアは、武術家の父に憧れていたが、父は彼に稽古を付けてくれない。彼は秘かに鍛錬を積み、やがて天津一の格闘家となった。ある日、大ケガをした弟子の仇をとろうとして、対立する流派の武術家を殺してしまった。だが、その報復として自らの愛する家族を失ってしまった…。

リー・リン・チェイは、ハリウッドよりもアジア映画の方が圧倒的に美しい。と言うか、カンフー・アクション・スターを西洋では使いきれていないのは誰もが認めるところ。そういう意味では、監督が西洋帰りとは言え、『白髪魔女伝』等のロニー・ユー(今は『フレディVSジェイソン』の人なんだろうけれど)だからOKである。

でも、なんか優等生過ぎて面白味に欠けるんだよな。
功夫映画に関して造詣があまり深くないので、この映画でリン・チェイの演じる霍元甲が、『ドラゴン 怒りの鉄拳』で殺される師匠であることも知らなかった。実在の人物の伝記映画な訳で、真面目に作らざるを得なかった面もあるんだろうけれど、それにしてもケレン味が薄い。勝つことが全てだった人物が、強さの真の意味を悟る物語。人間的に成長する霍元甲はいいんだけれど、常にストイックに過ぎる。もっと豪放磊落なキャラクターであっても良かったのかもしれない。

時代背景を考えれば、日本人は絶対的な悪になりそうなものなのに、中村獅堂はやたらに高潔な人物(美味しい役なのに、アクションが出来ないのがイタイ)だし、衣装はワダ・エミさんだし、音楽も梅林茂である。きっと日本市場への期待感が強かったんだろうなぁ。

ところで、パンフレットを読んでの疑問が2つ。
・タイのオリンピック金メダリスト、ソムラック・カムシンが出演しているように書かれているが、そんな人出演してないのでは?
・中村獅堂インタビューで、「北京語は、吹き替えじゃなくて自分で話している」と力説しているが、声も違えば口も合ってない。
どちらも日本上映の最終版でカットされたり、差し替えられたりしている可能性が強いと思う。スケジュールの都合とか、色々あるんだろうけど、パンフレットにそんなこと書くなよ…。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006.04.03

3/26 『乾いた花』

米版DVDで『乾いた花』を観る。

ヤクザの抗争から人を殺し、三年ぶりに娑婆へ出た村木(池辺良)。世間はすっかり様変わりし、対立していたはずの組同士も手打ちが済んでいた。そんなある日、賭場で一人の少女・冴子(加賀まり子)に出会う。裏社会の人間には見えない冴子に何故か心惹かれる村木。彼女は、もっと大きな勝負のある賭場へ行きたいと言う。村木と冴子の奇妙な関係が始まるが…。

64年の篠田正浩監督作。
題名の“乾いた花”は、花札賭博の花と、人々の渇いた心情、渇いた生き方を現したものだろう。
その題名通り、それまでのヤクザ映画、任侠映画とは違って、非常にドライに淡々とヤクザの日常を描いている。ヤクザの抗争も手打ちも、村木にとってもはや大した意味はない。義理人情を破壊する訳ではないが、それすらも只の事実として存在するに過ぎない。そんな村木が冴子に惹かれていく。彼女もまた、世間とは無関係に飄々と生きている。

クライマックスで、村木は「面白いものを見せてやる」と言い、自分が人を殺す瞬間を冴子に見せる。非常に殺伐としたバイオレンス描写なんだが、それすらも何か淡々としている。

エピローグで、刑務所に入っていた村木は、「冴子が殺された。実はあの女は…」と、冴子の正体を教えられそうになるが、それを聞かない。村木にとっては、冴子が存在することのみに意味があり、その正体なんてどうでも良いのだ。そして、村木ほど超然と生きることが出来ない観客たちは、最も知りたかった冴子の正体を結局何も教えてもらえないまま幕が閉じる。

なんとも不思議な空気の映画である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)