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2005.01.08

1/8 『ゴジラ FINAL WARS』

今日は土曜日だってのに、クダラナイ用事で出社。夕方から新宿コマ東宝で『ゴジラ FINAL WARS』を観る。毎年恒例のお正月行事で、観に行くのももちろん毎年同じ面子。

近未来、世界は恒常的に怪獣災害に見舞われていた。人類は怪獣に対抗するため、特殊能力のあるミュータントを集め、M機関と呼ばれる部隊が結成した。そんなある日、海底から謎の巨大怪獣の死骸が見つかり、研究のために音無美雪が国連から派遣され、M機関の尾崎真一が護衛にあたることになった。時を同じくして、世界各国で同時に怪獣たちが出現した。地球防衛軍は必死で対処するが、怪獣たちを止めることは出来ない。だが、突如現れた異性人の宇宙船が、全ての怪獣を消滅させてしまった。彼らはX星人と名乗り、地球との和平を望むが…。

昨年『サンダーバード』を観た時と同じ気持ちになった。それは一言、“憤り”だ。

何もかもがダサイ映画である。
怪獣自体、新・轟天号、X星人やミュータント兵、水野久美のメイク等々、デザイン全般がともかくダサくて意味が分からない。だが、デザインのダサさなんてのは、演出でカッコよく見せることも可能だろう。しかしこの映画は脚本も演出も、気が遠くなるほどダサイ。いやダサイと言うよりも、カッコ悪いのだ。それは脚本家自身、監督自身、ついでにこんなものを許してしまうプロデューサー自身の“勘違い”に由来してるんじゃないだろうか。
「ほら、オレってカッコイイだろ?」
そんなことを思ってるバカが作った映画のような気がする。それが本当にある種のスタイルまで昇華出来ていれば、それは本当にカッコイイものとなる。例えば、『ブレイド』のウェズ公は、あのバカとしか言いようのないスタイルとアクションを貫いたからイカスのだ。だが、この映画でやっている“カッコイイこと”は、無断借用してきた物でしかない。全てはどっかで観たもののパクリである。『MI:2』そっくりのバイクアクション、『マトリックス』そっくりのシチュエーションとバトル、近年のアクション映画で流行りのロングコートetc、etc…。観ていて、極限までの恥ずかしさを感じさせる。作り手は、これはパクリではない。引用だ、オマージュだ、リスペクトだ、と言うのかもしれないが、それは敬意を払ってこそのものである。この映画は無自覚にパクッているだけだ。
では、北村龍平らしい部分はないのかと言えば、それはグルグル振り回すカメラにある。やたらとカメラが回りながら被写体を捉える。だが、そこには特に意味が見出せない。状況や立ち位置を見せるためでも、何かの心情を現すのでもない。ただ雰囲気で回っているだけのようにしか見えない。
その上、作者たちがカッコイイあるいは面白いジョークだと思っている台詞や台詞回しも、ことごとくサムく、滑っている。
こんな映画に出演することになった水野久美、佐原健二、宝田明、そして北村一輝が可哀想でならない。

「これまでの平成『ゴジラ』のダメっぷりに比べれば、この映画の方が全然マシだ」とする論調もある。確かに、一部の例外を除き、ほとんどはダメ映画だった。だが、それでもこの映画と違って不愉快ではなかった。それは北村龍平が、怪獣映画など全く好きではないことが、映画のあらゆる場面から伝わってくるからだ。
『ゴジラ』シリーズは全て観ている。昭和シリーズの中には、ブラウン管でしか観ていないものもあるが、平成シリーズは全て劇場で金を払っている。『ガンヘッド』も『ヤマトタケル』も平成『ガメラ』も何もかも、この20年分くらいの日本製怪獣映画は劇場で観ている。『超少女REIKO』、『アンドロメディア』、『ジュビナイル』から、『8マン~すべての寂しい夜のために』まで、特撮映画も大抵は金払って観た。年がら年中、「こりゃあヒドイ」「こりゃダメだ」「何考えてこんなの作ってんだ」とか言ってた様な気はする。でも、ここまで愛のない映画は存在しなかった。あのとてつもなくダメな映画だった平成『モスラ』三部作ですら、眠くてカッタルかったけれど、不愉快ではなかった。
北村龍平許すまじ!

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