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2004.07.05

7/5 『砂の女/他人の顔』読了

『阿部公房全作品6 砂の女/他人の顔』(阿部公房著/新潮社刊)読了。

今更、オレが感想なんて語ってみたところで何の意味もないような作品であるが、まぁ折角読んだんだし、ちょろっとだけ。

「砂の女」
とある海岸に昆虫採集に来た男が、帰りの便を逃してしまったため、小さな村落に厄介になる。泊めてもらったのは、砂の穴の中にある女の家であった。だが、翌朝男が目を覚ますと、昨晩砂の穴に降りてきた縄梯子が外されており、男は穴から出ることが出来ないことを知る。

勅使河原宏監督(脚本は阿部公房自身)の映画は観ているが、原作を読んだのは初めて。
映画は基本的に原作に忠実であるが、ひとつ大きな違いがある。映画では、砂の穴----砂の女に囚われてしまった男が、この後どうなるのか、穴から逃げ出すことが出来るのか、否か。そこに興味を持続させて、不条理なサスペンスとして突き進んでいく。しかし原作では、1人の男が失踪し、7年以上の年月が経ったので死亡認定がされたことを最初に明かしてしまう。そのため、男が脱出できないのか、死んでしまったのかは分からないが、ともかく社会に戻ることがなかったということが分かって読み進むことになる。その分、映画以上に、男がなぜ砂の穴から逃げることをやめたのか、その心理に重点が置かれている。
どちらも傑作不条理劇であるが、オレとしては映画の方がより好きだ。
砂丘の無機質であるにも関わらず有機的な美しさと怖さ、そして岸田今日子の恐ろしさは、トラウマになるほどの恐怖と、観るものを引きずり込む異様な迫力に満ち満ちている。


「他人の顔」
とある科学者が実験中の事故で、顔に酷い火傷を負う。その顔中に蛭がのたくった様な顔のせいで、男は包帯を巻いて生活をすることになるが、顔を失うことがそのまま、社会から抹殺されたものと同じであると男は思い始める。そして、自らの知識と技術を駆使して、他人の顔の仮面を作ることを思い立つが…。

こちらも『砂の女』同様、阿部公房自身の脚本、勅使河原宏監督によって映画化されているが、残念ながら未見である。
原作は徹頭徹尾、男の書いたノート3冊分の手記と言う形で進んでいく。そのため全ては男の主観であり、男がなぜ仮面を作るに思い至り、いかにしてその仮面で社会と妻への復讐を遂行しようとしたか----言わば1人心理劇になっている。だが、正直この小説は厳しかった。物語のクライマックスで、「この尻尾をくわえた蛇のような長ったらしい告白」と描写されているのは、掛け値なしにまさにその通りである。この形式を取ったからこそ、男の心の機微が描けたのは分かるが、グチグチダラダラと続く“恨み節”のような内容は苦痛である。
この映画の紹介をネットや書籍で見ると、かなり映画的な脚色が加えられているようであり、それならば逆に非常に観てみたいと思う。オレにはこの小説の形式が合わなかったけれど、物語自体は非常に面白いと思ったからだ。近いうちに観てみよう。

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勅使河原宏監督、原作脚色安部公房、撮影瀬川浩、音楽武満徹でお送りする「砂の女」 続きを読む

受信: Aug 21, 2004 11:30:04 PM

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